「おせち」は中国から伝わった五節供の行事に由来する。
奈良時代には朝廷内で節会として行われ、そこで供される供御を節供と言った。
現在のような料理ではなく、高盛りになったご飯などであったとされる[5]。
この五節会の儀を一般庶民がならって御節供を行うようになったものと考えられている。
もともとは五節句の祝儀料理すべてをいったが、のちに最も重要とされる人日の節句の正月料理を指すようになった。
正月料理は江戸時代の武家作法が中心となって形作られたといわれている。
江戸時代、関西では「蓬莱飾り」、江戸では「食積(くいつみ)」、九州の佐賀・長崎などでは「蓬莱台・手懸け盛り」と称し歳神様に三方などでめでたい食べ物などを床の間に飾り、また年始の挨拶に訪れた客にも振舞ったり家族も食べたりした。

